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【サイト名】スローライフ.net(アーリーリタイア ブログ

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有栗生朗のプロフィール

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当サイトへのご訪問ありがとうございます<(_ _)>

当ブログの管理人である有栗生朗は、2013年、50歳のときにアーリーリタイアしました。

以来、挫折することなくセミリタイア生活を楽しんでます。

「有栗生朗」という名前は、このサイトを立ち上げるときに、これからは「ゆっくり いきろう」と、こじつけで名付けました。

でも呼び方は「ありくり いくろう」です。その方が名前らしいですから。

いつからか姓名判断とか九星気学、風水に少しばかりこだわるようになってからは、このようなハンドルネームでさえも、画数を考慮してしまいます。

ちなみに姓名判断で確認してみて下さい。

という訳で有栗の少し詳しい自己紹介です。

興味のない方はスルーして下さい。

公私の(私)

有栗生朗は1962年生まれの九州は長崎に住む男子です。

妻と二人で暮らしています。

現在の妻との間に子供はいませんが、公私ともに色々と冒険してきたせいか、前妻との間に一人の子供がいます。

そんな私ですが、熊本の有名な自称霊能力者によれば、前世は神様に仕えていたらしく?どこぞの神社の宮司だったと鑑定されました。

道理で、神社参拝は好きです。

ちなみに今の奥さんとは前世でも夫婦だったそうです。

これといった趣味はありませんが、あえて言えばドライブやショッピング、旅行、読書といったところでしょうか。よく妻と二人で出かけます。

リタイアしてからは、アフィリエイトというものを趣味にし、そしてたまにこのブログを書いたりして規則正しい生活をするよう心がけています。

公私の(公)

仕事人生においては、サラリーマンが性に合わない私は、これまでの人生で2度、脱サラというものにチャレンジしました。

バブルに救われた1度目の脱サラ

1度目の脱サラは、26歳の時。

フリーのSEを目指しましたが、1988年当時はインフラも整備されてなく地方に思うような仕事はなかったため半年ほどで断念。

借金こそ負わなかったものの精神的に非常に痛い経験をしました。

1度目の脱サラは失敗

1度目の脱サラはあえなく失敗に終わりましたが、幸運にも当時はバブル真っ盛り。

再就職に困ることはなく、地域密着型の小さい会社もありましたが、福岡・長崎で30社ほど受けてほぼ全てから内定通知を頂きました。

中には交通費という名目で3万円くれた会社もありましたし、面接に遅刻しても内定をくれた誰でも知っている準大手企業もありました。

時代は、バブルでした。

知ってますか?当時はBingという就職・転職情報誌があったのですが、都心部には週休3日制のIT関連企業がザラにあったんです。

特にSE(システムエンジニア)は人材不足で引く手あまたでした。

そういう状況に甘んじてか、より自分にあった会社への就職を模索するあまり、失業期間(就職活動期間)は2年という長期間に及びます。

生活費がパチンコで稼げていたということも失業期間が伸びた原因の一つかもしれません。

そして、ようやく28歳も終わろうとしていたときに地元の中堅企業に再就職。

その後、約10年間サラリーマンという修行を続けます。

しかし、やはりサラリーマンというものがどうしても性に合わない私はこんな不条理な世界で生きていくなら死んだ方がマシと、再度、脱サラを計画します。

性に合わないサラリーマン

インターネットに魅了されて2度目の脱サラ

1990年代の後半、この頃はインターネットが流行りだした頃でした。

インターネットというものにもの凄い可能性(衝撃)を感じたのが、20代に失敗しているにもかかわらず30代の後半にもう一度脱サラをしようと思ったキッカケになります。

会社勤めをしながらホームページの作り方や買い物カゴシステムの作り方、cgiやphpといったものなどを独学で学習し、自分でネットでお店が出せる仕組みを構築できるようになったことを機に38歳で思い切って会社を辞めました。

しかし、会社を辞めて早々、欲を出して本業とは関係ない携帯電話の投資話に退職金400万円を全てつぎ込み、それがあえなく破綻します。

未熟だったの一言に尽きますが、今考えるとその時の経験はその後の人生には必要な経験だったような気がします。

  • 40歳を前に何のあてもない無謀とも言える脱サラ。
  • 生活を繋ぐための財産を詐欺まがいの投資話で全てパーに。
  • 離婚で背負った養育費と2度目の結婚をしたばかりでの経済的責任の重圧。

2度目の脱サラの重圧

そんな状況に追い込まれ、20代の脱サラで一度痛い目に合ったこともあり、さぞかし落ち込んだか思いきや、意外とそうでもなく、憑りつかれたようにパソコンに向かってました。

その後は10ほどのビジネスをネット上で展開して2つが当たり。

仲間の手伝いもあり、運よく順調に推移し、2年目には法人成りも果たしました。

今振り返ると、ネットビジネスを始めた「時代」に恵まれたと思います。

そしてアーリーリタイア

10年ほど事業も順調に推移していましたが、48歳の時、あの東日本大震災が発生します。

このころに親しい人も亡くなりました。

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そしてこれらの強烈な出来事は今後の人生を考えるキッカケとなりました。

この頃になると運よく質素な生活であれば仕事を辞めても何とか生活していけるだけの資産が築けていましたし、また、前妻との間に生まれた子供の養育費の目途も立ってました。

そんな時に、降って湧いたように浮かんだのがアーリーリタイアという選択肢です。

とはいえ、自ら収入、しかも高収入を断つというのはかなり勇気がいります。

リタイアするかこのまま仕事を続けるか2年ほど悩みましたが、これからの生き方として、物質的な贅沢よりも束縛やしがらみから解放され心にゆとりのある健康的な生活をしていく方がより有意義な人生を送れると確信したためアーリーリタイアを決断するに至りました。

ちょうど50歳の時でした。

ちなみに、これまでの幸せの体感をグラフ化してみました。

幸せの体感をグラフ

20代の凹みは脱サラに失敗した時、30代の凹みは、2度目の脱サラをした直後、投資話に400万円をつぎ込んで全財産を失った時です。

当ブログについて

アーリーリタイアして約1年経った頃、リタイア生活にも慣れてきましたので余裕こいたふりしてこのブログを始めてみることにしました。

このプロフィールを更新している2017年9月は、書きたいことがあって書くというより、定期的に書き続ける(月に5本が目安)というのを自分に課しているせいか、やっつけ仕事的で内容のない記事ばかりになってしまっていることがやや気がかりですが、更新しないよりマシと言い聞かせながら更新し続けています。

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50歳でアーリーリタイアという生き方を選択した理由

最近思うこと

最近は、収益度外視で何かライフワーク的なものを見つけたいと考えています。目標を持つことで生活に張りを持たせたいと考えています。

何か人様のお役に立てるような、そんなことを・・・。

(2017年9月更新)