過酷な労働でも働き続けなければならない理由

過酷な労働でも働き続けなければならない理由

長年、年賀状のやり取りだけになっていた知人と久しぶりに東京で会うことに。

彼はいわゆる一流大学を卒業して商社に就職。

その後転職して今は東京のアパレル会社で営業マンとして働いています。

毎日、朝の8時から夜の12時頃まで仕事。

勿論、管理職で残業代はつかずサービス残業です。

休みも表向き週休2日制ですが、実態は日曜日だけ。

その日曜日も休めない日があると言います。

ときどき、ブラック企業が話題になりますが、彼に言わせれば氷山の一角。

というか、それが当たり前の世界のようです。

今の私の生活からは想像できない生活です。

軽蔑されるのを覚悟でアーリーリタイアをしたことを報告すると、できるものなら自分もそうしたいと、予想外の答えが返ってきました。

というのも見るからに仕事に生きがいを持ち、十分なお金があっても仕事は続けるタイプのように思えたからです。

であればと思い「年収は下がっても地方の企業に転職してもう少し緩い生活をした方がいいのじゃないか」と提言するものの、

「子供も手がかからなくなったので考えなくもないが、年収も半端なく下がるし、今更新しい人間関係などを構築していく方がしんどいので踏み出せない」ということでした。

子供二人を私大にやったせいか貯蓄も同年代で比較すると少ないようです。

やっと出費が減った今から定年までに貯蓄に励むということです。

確かに、考えてみれば50歳を過ぎて新しい環境に飛び込むことの方が色んな面でリスクがあるかもしれません。地方の企業に転職したからといって今より緩い生活ができるとも限りません。

結局は、現状の過酷な労働条件の中でも定年まで自分や家族の生活や居場所を守るため必死で頑張るしかないと言います。

昼過ぎから夕方までの4時間ほどの会話でしたが、お互いの空白期間の情報交換ができて地方では味わえない刺激的な1日でした。

夕方からは、妹に頼まれていた甥が出演する総合格闘技の試合の観戦にいき、

総合格闘技

翌日は秋葉原でスマホ用の手帳型ケースを購入して帰ってきました。

秋葉原

アーリーリタイアしたての頃は、東京や大阪へ行くと朝の出勤時間にスーツ姿のサラリーマンが駅の構内を急ぎ足で移動するのを見て焦りのようなものを感じていましたが、今回はそういうことはありませんでした。

心も体もアーリーリタイアを受け入れるようになったようです。


セミリタイア生活