私の平成は脱サラの失敗から始まりました

私の平成は脱サラの失敗から始まりました

残り10日余りで31年続いた平成が終わりますね。

折角ですので、今月は平成を振り返って、その変遷を2~3回に分けて書いてみたいと思います。

気が向かず今回で終わったらすみません。

今回もくだらない話ですが、時間のある方はお付き合い下さい<(_ _)>

もしかしたらある人にとっては夢や希望が持てる記事になるかもしれません。

私自身の幸せ体感グラフ

さて、上の図は、当サイトのプロフィールにも掲載している私自身の幸せ体感グラフです。

このグラフを見てはじめて分かったことですが、私の場合、平成という時代に人生のどん底から最高潮に達していることが分かります。

今日はその平成が始まった頃(朱色の部分)、つまり、脱サラに失敗した当時のことを思い出しながら書いてみようと思います。

少し話を盛ってるところもありますがご容赦下さい<(_ _)>

平成は脱サラ失敗から始まった

平成になる少し前、福岡でサラリーマンをしていた私は、定期的に行われる上司との個別面談で「会社を辞めて長崎に帰りたい」ことを告げました。

今から31年前。25歳の頃です。

当時はバブルまっさかりでコンピュータ業界(死語!?)も超がつく人手不足でした。

当時の私は若手のホープと言われていたこともあり(?)それを聞いた上司の最初の言葉は「とりあえず、その話はなかったことに!」でした^_^;

目をかけてくれていた上司だったこともあり強い引き止めがありましたが、それでも辞める意志が固いことがわかると、会社同志の付き合いを通してここ長崎の優良企業3社に推薦をしてくれました。有難かったのですがこの親切心が後に「余計なこと」となります。

私を押し付けられる形になった長崎の会社は、大手企業の推薦を無下に扱うこともできず、福岡まで直々に面接をしにきてくれました。

面接会場は私が勤めている会社です。今じゃ考えられません。

脱サラしてフリーのSEを目指す

しかし、当時の私は、既に会社という組織で生きていくことが性に合わないことを悟っていましたので、会社員になるつもりはなく、実はフリーのSEを目指していました。

そのため、わざわざ面接に来て頂いた会社は何かと理由をつけて断りました。

しつこい会社もありましたので、適当な理由をつけて断っていましたが、その理由に気分を害された先方のお偉方もいました。まあ仕方がないことです。

何故か、フリーになりたいからという正直な理由は話せませんでした。

かくして、フリーのSEとして活動し始めます。

活動するといっても何もないところから飛び込み営業をかけたりする訳ではありません。

地方でもフリーのSEと契約する会社がありましたのでそこと契約しました。

脱サラに失敗

契約後は契約した会社が受注した仕事を2~3回、フリーのSEと請け負いましたが、インフラも整備されていない当時は地方に仕事は全くなく職場は東京でした。

最初に突き付けられた想定外の現実です。

半分は地元の仕事と言っていたのも結果的には嘘でした。

しかも、労働環境も劣悪です。

ベッドだけのホテルに寝泊りして毎朝見知らぬ会社に向かう訳ですが、打ち合わせすべき人と会えるのは2日に1時間といった有様。仕事になりませんでした。

当時は、フリーのSEを間に挟んだ仕事のやり方は確立されていませんでした。バブルだったんで、効率化とかいった発想はあまりなかったんですね。

かといって自分でそういうものを組み立てて仕事をしていくには、能力、経験ともに圧倒的に不足していました。

スムーズに仕事ができるよう関係者に会えるようにしてほしい、と何度も本社に掛け合いましたが「すみません」の一点張り。こういった環境は変わりませんでした。

経費もかさむとあって半年ほどで断念。何よりも、そういうことになるとは知らずに福岡からついてきた妻(最初の妻です)が可哀そうでした。

引っ越してきたばかりなのに、私が東京に行っている間、友達もいない知らない町でずっと一人ですからね。

公私ともに理想と現実のギャップに打ちのめされた時期でした。

就職活動を始める

仕方なく脱サラという夢は封印し、就職活動を開始するも、はたと気がづくと地元の優良企業と言われる企業は断ったばかりです。

やっと目ぼしい会社を見つけたと思ってもその企業は、先に断わった優良企業の子会社だったり関連会社だったりです。

貯金も底をつき、私の就職も思うようにならなかったので、妻は率先して働きに出てくれましたが、これは私にとって大きなプレッシャーになりました。

男として情けない、申し訳ない、という気持ちと、夢破れ、失ったものの大きさを考え、焦っているうちに精神状態もどん底になりました。

フリーのSEの頃から少しづつ精神を蝕まれていたようで、この頃になると、まともに社会復帰ができるのだろうかと思うほど落ち込んでいました。本当に辛かったです。

グラフでいうと一番下のピーク時です。

平成に改元

どうにかしなければという焦りとこれからどうなるんだろうと不安で一杯でした。

平成

新しい元号は平成であります」と小渕さんが改元を発表したのはその頃でした。

妻が外に働きに出ている時に狭いアパートで一人で見ていたのでよく憶えています。

今でもその動画をテレビなどで見ると辛かったその頃のことを思い出します。

まとめ

とまあ、平成も終わるということで30年以上も前の話を思い出しながら書いてみました。

実際はここに書けないことも色々あって苦しい時期でした。

でも、後から考えるとこの経験は私にとって必要な経験だったと思います。

それまでは分からなかった人の痛みがわかるようになりましたし、同じ境遇にいる人には親身になって相談にも乗れるようになりました。

辛い人が発するサインも少しでしょうけどわかるようになったつもりです。

実際、この頃を境に兄弟や昔を知っている知人には、昔は血も涙もない鬼のような人間だったのに見違えるほど優しくなったと言われるようになりました^_^;

26歳。無職。地元の優良企業への就職は断たれ、貯金ほぼゼロ。

かくして私の平成時代は幕を開けました。

今になって考えてみれば、平成への改元は私の人生が好転する合図だったようです。

関連記事

今月は「平成」という時代にひと区切りをつけるべく、平成を振り返って、その変遷を思い出しながら綴っています。前回は、平成は、脱サラの失敗から始まったことを書きました。今日はその続きです。[…]

平成中盤。2回目の脱サラに挑戦するも最初に大きくコケる

セミリタイア生活