平成中盤。2回目の脱サラに挑戦するも最初に大きくコケる

平成中盤。2回目の脱サラに挑戦するも最初に大きくコケる

今月は「平成」という時代にひと区切りをつけるべく、平成を振り返って、その変遷を思い出しながら綴っています。

前回は、平成は、脱サラの失敗から始まったことを書きました。

今日はその続きです。

就職活動を開始

26歳。無職。地元の優良企業への就職は断たれ、貯金ほぼゼロ。

20代半ばに一度目の脱サラに失敗した時は、精神的にもどん底の状態にありましたが、仕方なく就職活動を開始しました。

履歴書

地元で優良と言われる数少ないコンピューター関係の会社は、脱サラする前に入社をお断りしていたので一般企業のシステム部門への就職へと目線を変えることにしました。

専門学校の講師などで生活を繋ぎながら県外の企業を含めておよそ30社を受験。

ハローワーク(当時は職業安定所)を通すとロクな会社に就職できないことが学習できてきてからは会社の人事部に直接電話して直談判するようになりました。

結果、これから大きなプロジェクトを開始するという地元の中堅企業に就職

脱サラに失敗して2年後。今からおよそ30年前の27歳の時です。

平成最後のサラリーマン時代がはじまる

就職した会社では、すぐに大きなプロジェクトが始まりました。

プロジェクト

職場はプロジェクトのために新しく集められたメンバーばかりです。

既存組織は殆ど機能せず、自由な雰囲気だったので居心地は悪くありませんでした。

凝り固まった既存組織がないのは転職組には有り難いことです。

しかし、忙しさは半端じゃありません。

あれこれ考え悩む時間も無く、精神状態も一気に回復しました。

20代後半に曲線がグーンと上がっているのがその頃です。

ちなみに朱色の部分がこの記事に書いている内容の時期です。

幸せ体感図

やがて多忙を極めた2年間のプロジェクトが終了します。

しかし、やっとゆっくりできるなあと開放感に満ちた頃をピークに、平時の組織が機能しはじめ、しょーもない会議や人間関係、付き合いなどが生まれ始めます。

そうです。私が苦手とするザ!サラリーマン生活の始まりです。

幸か不幸か心にも余裕が生まれたため、このままずっとサラリーマンを続けるのはどうなのかという隠れていた考えがまた姿を出し始めました。

30代前半の頃です。

2回目の脱サラに挑戦

どうにかして会社に頼らない生き方ができないか、プロジェクトが終わってからはずっとそればかりを考えながら数年の間、悶々とすごしていました。

そんな時に出会ったのがこのインターネットです。

それよりも以前に、Windows95発売、Yahoo Japanサービス開始、などで賑わっていた時期もありましたが、その頃はピンときませんでした。

インターネットというものの可能性がガツンと心に響たのは1998年頃でした。

運命の出会いってこういうものですね。

目の前にあっても気づくときとそうでない時があります。いくらチャンスが目の前にあっても自分の方がそれを受け入れるタイミングでなければなりません。

チャンスは掴むものではなく感じるものだと思います。

チャンスは掴むものではなく感じるもの

インターネットは、会社に頼らずに生きていける可能性を秘めている、とすぐに確信してからは、パソコンを購入し、独学でホームページの作り方を学習しはじめました。

インターネットがあれば家に居ながらお店もできますし、色んなサービスが提供できますからね。これこそ会社に頼らずに生きていける手段になりえると思ったわけです。

当時は、まだダイヤルアップ接続で、インターネットにつながるまでに数分、ホームページの表示も画像があるとこれまた分単位の時間がかかる時代でした。

独学でホームページの作成の仕方を学習

買い物システムを使ったお店のWebサイト(ECサイト)が作れるようになったら会社を辞める。

それができるようになって会社を辞めたのが38歳になる年でした。

幸か不幸か会社はバブル崩壊以降経営状態が悪化し、早期退職優遇制度を発表。

前の妻と別れた時に貯金は全て渡してましたので、退職金が割り増しで支給される早期退職優遇制度に則って退職することができてラッキーでした。

その時の状況は、私自身のリストラ物語でもリアルに書いています。

2回目の脱サラも最初に大きくこける

運よく会社の早期退職優遇制度にのっとって400万円ほどの退職金を手にできた私は失業手当と併せればこの先3年近くは無収入でも大丈夫と安心しながらネットでビジネスに取り組みます。

しかし、その頃ネットサーフィンで目にした携帯電話事業の投資話に興味を示し、あろうことかほぼ全財産である400万円を投資してしまいます。

案の定、その会社は破綻。

今の妻と結婚し、新しい生活を始めた矢先のことでした。

またしても40歳を目の前にほぼ全財産を失い、待ったなしになりました。

もはや失敗すると、雇ってくれるところもありません。

しかし、この時は、20代に失敗して痛い目にあっているにもかかわらず、意外にも絶望やこの先の不安、恐怖といった感情は殆どありませんでした。

まだまたインターネットという希望があったからです。

39歳。無職。貯金ほぼゼロ。希望はあり。

かくして私の平成の中盤戦が始まりました。

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