10年でお金を貯めてアーリーリタイア。諦めずに続けていれば想像を超える展開もありえる

10年でお金を貯めてアーリーリタイア

今月は「平成」という時代にひと区切りをつけるべく、私自身の平成を振り返って、その変遷を思い出しながら綴っています。

  1. 平成は、脱サラの失敗から始まった
  2. 2度目の脱サラに挑戦するも最初に大きくこける

につづき、今回は3作目。

  • 10年でお金を貯めてアーリーリタイア。諦めずに続けていれば想像を超える展開もありえる

で最終回です。

そして、今回の投稿が平成最後の投稿になります。

平成が始まった約30年前の25歳の時に1度目の脱サラに失敗し、一旦はサラリーマンに戻るも38歳で再度、脱サラにチャレンジしました。

しかし、38歳に脱サラしてすぐに詐欺まがいの投資に手を出し、全財産(400万円)を失った、というのは前回までに書いた通りです。

幸せ体感グラフで言えば30代の後半に凹んでいる時期がそうです。

凹み具合が少ないのは、20代の脱サラ時とは異なり、希望と根拠のない自信があったからです。

ちなみに朱色の部分がこの記事に書いている内容の時期です。

幸せ体感図。平成の後半時期

ビジネスが軌道に乗り始める

早期退職優遇制度にのっとって手にした退職金400万円を退職後すぐに投資話で全て失いましたが、間もなくして、希望が持てる嬉しい話がありました。

会社の後輩達と組んで作っていた教育ソフトが出来上がったのと、それを販売する自作のサイトがYahooカテゴリーに登録されたことです。

通過率3%と言われていたYahooカテゴリー(現在は終了)の審査にあっけなく通り、すぐに注文も入ってくるようになりました。

データーベースとプログラムを作るまでは大変ですが、できてしまえば後は楽です。

注文が入った時にCDに焼いて、取説と一緒に送るだけなので簡単な作業で済みます。

今のようにWeb上からダウンロードできればもっと楽でしたね。

当時も仕組みは勿論ありましたが、ダウンロードにかかる時間が実用的ではありませんでした。

言い値である販売価格の90%以上が利益になりましたし、一旦作ってしまうとその後はマンパワーも必要ありませんので別のビジネスにも取り組めます。

2000年当時は、Webサイトの絶対数も少なく、サービスもまだまだ少ない時代です。

今と違って何かをアップすれば必ず反応がありました

そこで、次に手を出したのが商品販売に特化したホームページ作成代行を格安で請負い、その代わりに商品が売れたら手数料を頂くというビジネスです。

2万円でホームページを作って販売に繋がったら○%の仲介料を頂くというものです。

同時に商品販売ホームページを宣伝して販売してくれる代理店も募集

間に入って手数料を取るという単純なビジネスですが、当時はやっている人が少なく波に乗れました。やっていたことは今のASPと同じですね。

ホームページ作成代行

中には1個売れたら5万円という報酬の商品もありました。

成果を上げた代理店に1万円支払っても4万円の利益ですが、これがなかなかよく売れました。

よく売上をあげてくれていた代理店の中には後に本格的にアフィリエイトを始め、スーパーアフィリエイターと呼ばれるようになった人が何人かいます。

今はレジェンドを言われているようです(^_^)

本も出版してましたね。

ちなみに、私たちが広告を選んで貼るのではなく、Webサイトの方から広告枠を販売するというシステムも構築してみましたが、これはうまくいきませんでした(^_^;)

広告の例
当サイトは、月に3000のアクセスがあります。ここに月額3,000円で広告をのせませんか、ってなサイトを集めたシステムです。

他にも法律が変わって断念したビジネスもあります。

感覚的には10個くらいのビジネスにトライして2つ3つ当たったという感じでしょうか。

貯蓄が増えアーリーリタイアに踏み切る

勿論、いいことばかりではなく大変なこともありましたが、総じて順調に推移しました。

一発屋ではなく、10年間ずっとそれなりの収入が維持できましたので、200万円のロレックスを買ったりと使う額も少なくありませんでしたが、貯蓄額も増えていきました。

そして、気づいたら、アーリーリタイアも可能に。

決してアーリーリタイアが目標ではありませんでしたが、50歳でアーリーリタイアをすることに至った経緯にも書いた通り、東北大震災をはじめ様々な出来事があり、10年の時間をお金で買うつもりで50歳でアーリーリタイアするに至った次第です。

以降、6年間、このブログに書いているようなセミリタイア生活を続けています。

まとめ

今回は、3回に渡り私の私の平成を振り返ってみました。

平成が始まる時、私は最初の脱サラに失敗し、社会復帰もままならないほど精神的なダメージを受け絶望感を味わいました。

そして、平成中盤の40歳の頃には、サラリーマンを辞めた後、またしても詐欺まがいの投資話で全財産を失い、この先どうなることやらと心配したものです。

しかし、人生ってわからないものです。

私が実体験したようにたった10年で大きな変化が起こり得ます。

アーリーリタイアする、たった10年前までは狭いアパートに住み、生活していくのもままならない状態だったのに、

  • ちゃんと生活ができるようになるとは
  • マンションや高級車と言われるような車がキャッシュで買えるようになるとは
  • ましてや、アーリーリタイアできるようになるとは

本当に夢にも思っていませんでした。

そういう風になりたいとは、これっぽっちも抱いてなかったんですけどね。

高級車

今は、辛かったり苦しかったり、物事が思うようにまわっていない人でも諦めずにやっているとちょっとしたことから思いもよらないいい展開が待っているかもしれません。

リスクもありますが、とにかくやってみなければ何も変わりません

今回は、そういうことが言いたくて長々と3回にわたって自分の体験談を書きました。

平成も残すところ5日足らずですね。

こうやって平成を振り返ると色んなことがあったので実に感慨深いものがあります。

その時代が終わるのが少し寂しい気持ちもあります。

令和もいい時代にしていきたいですね。

その他の関連ブログ ⇒ セミリタイア生活

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