先日、facebookで探した親友O君と25年ぶりに再会しました。
参考:音信不通になっていた親友をFaceBookで見つけて25年ぶりに連絡
ご先祖様へのお墓参りを兼ねて福岡からここ地元の長崎に1泊で帰ってきてくれました。
夕方5時半、待ち合わせ場所である彼の泊まるホテルのロビーで待っていると彼が現れました。
白髪まじりで目の周りにシワがあり結構老けてます。
「やっぱ変わったね~」というのが私からの第一声。
「全然変わらんね~」というのが彼からの第一声でした(笑)
5分も話すと25年という歳月もどこへやら、すぐに昔の学生時代だった頃のように話すようになりました。幼馴染とはそういうものです。
とは言え、お互い現状の話には探りを入れたり気を使いながら会話をします。
O君:メールでは仕事しないで生活しているって書いてあったけど就職はやっぱり厳しいの?
私(A):運よく貯蓄できたからさ、もう就職はせずに倹約しながら生活していこうと思って。
O君:ということは、もう何千万円も貯めてるってこと?
私(A):まあそんな感じ。
O君:そうか。実はここに来る前に会社の社長と25年ぶりに親友に会うって話したら、わざわざfacebookで探して連絡してきたくらいだから借金とか変なことに巻き込まれないよう気をつけないとね、とか言われてね。
本当言うと少し心配してた。人生ってどうなるかわからないからさ。
それにしても何故アーリーリタイアしたの?
自営業だったら仕事を縮小するとかする選択肢もあったんじゃないの?
私(A):縮小しても仕事は仕事だしね。
もう仕事をしないでのんびりした人生を送りたくなったからさ。
それから少し時間をかけて50歳でアーリーリタイアをすることに至った経緯を話しました。
O君:なるほどね。でもリタイアしたら毎日することがなくて暇じゃないの?
私(A):時間はあるけど暇じゃない(笑)。やりたいことやっている。
適度にストレスを与えながら規則正しい生活をするように心がけながらさ。インフレが怖いので小遣い稼ぎもしているし、今が人生で精神的に最も健康的な生活をしていると思う。
ところでO君も、4~5年前に転職したって書いてあったけど、O君が転職をするということは余程のことがあったんじゃないの?
O君:前の会社で色々あってね~。自分の精神や体がストレスで危なくなると思ったから前から声をかけてくれていた会社に転職した。
私(A):実は俺の方もO君ももしかしたら厳しいサラリーマン生活送ってるんじゃないかと心配してた。普通50歳前の転職でいい条件出されることは引き抜きでもない限りほぼ無いからね。
O君:前の会社が大手に吸収された時も特例で抜擢されて東京営業所の責任者とし赴任したんだけど20名の部下のうち10名が年上で、殆どいじめの世界。
指示しても動かないどころか、やれと言っても、やりませんと平気で言う。やっても報告しないしね。2年我慢したけど、今後の方向性も見えなくなってたから辞めた。
んで、いくつか声がかかった会社のうち今の会社に転職した。
といって渡された名刺の肩書は常務取締役営業部長!
会社もJAXAやパナソニック、三菱電機といった多くの一流会社を取引先に持つちょっとした企業でした。結構凄いんだ(笑)
O君:借金申し込まれるとか失礼なこと言って悪かったね、リタイヤしたっては書いてあったけどそういう意味とは思わなかった(笑)
私(A):お互いね。
そんな会話を上記のような標準語ではなく地方の言葉で済ませ、居酒屋やスナックでは、付き合っていた女性とあれからどうなった的なことや仕事のこと、特にO君は結婚していないからそういうことを話して深夜の2時にお開きに。
・・・
25年経った今、私がfacebookで探してまでも彼に会いたくなった理由。
それは単に懐かしんで会いたいと思っただけでなく、これまで彼が私のためにしてくれたことに対して感謝の気持ちを伝えたかったことと100分の1でもそのお返しがしたいと思ったからです。
学生時代、私が大阪にいた時は九州から1週間ほど遊びにきてくれました。
私が大阪の学校を卒業して北九州の会社に就職する時は、アルバイトで忙しくて時間のない私に変わって住むアパートを探してくれました。
福岡から電車で2時間も移動して自分の足で不動産会社を当たってくれたんですね。
私が北九州にいた時、彼女を連れて彼のいる熊本に遊びにいった時は3人分のゴルフ道具一式を揃えて接待をしてくれました。
洒落たペンションを探して予約もしてくれてました。
高校生のときは、転向していった好きだったあの子は今どこに住んでいるんだろうとボソっと言えば、住所を調べて紙に書いてきてくれた時もありました。
映画やコンサートに行くとなると切符など全て彼が用意してくれました。
こんなことが数えきれないくらいあったのに、私はそういうことは一切せず、たぶん「ありがとう」の一言で済ませていたような気がします。
いや、もしかするとあの頃の私はありがとうすら言ってなかったかもしれません。
勿論、彼と私の間に上下関係があった訳ではなく、彼が気を遣う能力に優れていて私が単に未熟なだけだったのですが、彼はずっと友達でいてくれました。
そういうことを今更ながら思い出したという訳です。
私は彼だけではなく他の人にもそういう接し方をしてきたのかもしれません。
ここにきてこれまでの人生を振り返って少しでも相手のことを気遣う行動をしたいと思ったのが会いたいと思った動機の一つでした。
翌日は彼の墓参りに付き合いました。
線香とお花、草むしりの道具を買い、彼の母方と父方のお墓に。
将来のことなどを話しながら軍手をして二人で草むしりを2時間ほどしました。
汗をかき、服も汚れ、蚊にも刺されました。
ちょっとした坂と階段がある100mほど先にある水汲み場にも私は3回ほど往復しました。
何でもないことですが、私にとっては非常に意味のある大きなことでした。
墓参り後、昼食を済ませた後は彼の希望で海の見えるカフェのテラスでお茶を。
聞くところによるとサラリーマンであるにもかかわらず、アーリーリタイアしても何とかやっていけるほどの貯金があるようですが、次期社長という可能性も高いためアーリーリタイアどころか定年での退職という選択も難しそうでした。
彼には今のところ配偶者がいません。
話を聞くとモテないのではなくて好きになった人に旦那がいたり、近づいてくる女性には全く興味がもてなかったりと今のところ結婚には縁がないようです。
倒れた時に面倒をみてくれる人、お墓に入れる手続きをしてくれる人、お金を相続してくれる人、そういう人を見つけるのが今後の課題だねと冗談まじりに言いましたが、彼は真剣にそう思っているようで老後は独りということに危機感を持っているようでした。
夕方4時、お別れの際にも感謝の言葉を頂きました。
ほんの少し、これまでのお礼が出来たのではないかとホッとしました。
これからは定期的に会うことになりそうです。
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